人に気を使いすぎて遠慮してしまう。
顔色を伺いっぱなしで疲れる。
どう思われるか不安で本当の自分が出せない…
このような悩みを抱えている方は大勢いらっしゃいます。
良好な人間関係を築くためには、ある程度“場の空気”を読んだり、“相手の気持ち”に意識を向けることも必要です。
しかしそれが過剰になると、社会生活において「息苦しさ」や「生きづらさ」を感じる原因となってしまうこともあります。
昔の私もそうでした。
相手の気持ちや考えを先回りしてはそれに適した言動や振る舞いをし、相手にとって「ベストな存在」でいられるよう常に意識していました。
でもそうした自分でいるほど気疲れするし、自分のことが二の次になって欲求不満を抱えることも多かった。
しまいには「なんか損した気分だ」「どうして自分だけ?」といった被害者意識のような感覚を覚えることもありました。
以前の私は完全に「他人中心」思考に陥っていて、すべて相手優先・相手基準で考えてしまうタイプの人間でした。
そうすることで「いい人」でいられると思っていたし、そうした存在のほうが周りにも認めてもらえると思っていたからです。
しかし、ある時からそんなお人好しのような存在であり続けることに苦痛を感じるようになりました。
過剰に人に気を使い、何をするにも「これをやったら相手はどう感じるか」などと顔色を伺ってしまう自分に疲れてしまったのです。
こうした経験から、
「どうしたら周りに気を使わないでいられるだろうか?」
「どうしたら、もっと楽な気持ちで人と関われるだろう?」
などと考えるようになりました。
そして、以下の3つの考え方を意識するようになってから、気を使いすぎて苦しくなることはかなり減ったような気がしています。
①相手に心を配る
過去の私も含め、周りに気を使いすぎてしまう人の多くは、
- 相手に嫌われるかもしれない
- 見捨てられるかもしれない
- 傷つけられるかもしれない
といった不安が強く、そこから逃れるために相手に尽くすようなところがあります。
- 嫌われないように○○しておこう
- 引かれないように●●しないでおこう
- 仲間外れにされないために自分が引き受けよう…
といった具合にですね。
こうした“自己防衛的”な気遣いは、「相手のため」ではなく、「自分のため」に行われています。
このとき、意識のベクトルは「自分」に強く向けられていますので、本当の意味での気遣い(=相手への心配り)が出来ていません。
人に気を使いすぎて疲れてしまう人は、意外にも「相手を喜ばせよう」とか、「相手に何かしてあげたい」といったポジティブな動機をあまり持っていないことが多いのです。
自分の不安を払拭するための気遣いには、「遠慮」や「我慢」といったものがつきまといます。
自分が無理をしているように感じたり、気疲れするようなことも多くなります。
その点、相手に向けた真の心配り・配慮にはそうした自己犠牲のような感覚を覚えることはありません。
- 相手に喜んでもらいたい
- 相手に安心してもらいたい
- 相手を笑顔にしたい
- 相手の力になりたい
- 相手に何か与えたい
本来、「気遣い」という行為はこうした相手への思いやりや優しさがベースとなるものです。
そうでない気遣いであれば、自分にとっても相手にとっても必要のない気遣いだと思うのです。
もし「気を使いすぎて疲れる」と感じることがあれば、
その気遣いは
- 自分の不安を払拭するためのものなのか?
- 相手に対する心配りなのか?
と自分に問いただしてみることで、神経をすり減らすような気の使い方はしなくて済むのではないかと思います。
②他人中心から自分主体の考え方へ
【他人中心】の生き方をしていると、人生のあらゆることが他人に依存・支配されていきます。
- これをやったら人にどう思われるか?
- 変だと思われないか?
- どうすればもっと良く見られるか?
など、
《他者の価値観や評価》
が常に行動や思考の原動力となってしまうのです。
“自分の本心”とは異なる言動が増え、本当はやりたくないこと我慢してやったり、無理にがんばろうとしてしまうようになります。
「自分はどうしたいのか」「どう感じるのか」といった意思や価値観があやふやになってしまっているために、人や場の雰囲気に振り回されてしまうことがどうしても多くなってしまうのです。
過去の私は、“自分の意思で”人に気を使っているつもりでしたが、本当は周りの空気や人に流されていただけであったり、ただ受け身になってしまっていただけでした。
自分の心の声に耳を傾けてみたり、他人ではなく自分の物差しで物事を考えるといった習慣がまったく無かったのです。
自分主体で物事を考えるようになってからは、やみくもに相手を優先するのではなく、「自分の心地よさ」を「自分の意思で」優先できるようになりました。
周りに気を使って合わせたり流されてばかりだった私ですが、
「自分がそうしたいからそうする」
「こう感じるからこうする」
といった本音で生きられるようになり、気疲れするようなこともほとんどなくなりました。
③「自分の意思でやっている」という自覚を持つ
「人に気を使うこと」は決して悪いことばかりではありません。
- 気が付いたことを教えてあげる
- できることを手伝ってあげる
- 相手の気持ちに共感してあげる
こうした言動は、相手の負担を軽くしたり気持ちを楽にしてあげることができます。
ただ、そうすることで後から“損”をした気分になったり、“不満を覚える”ようなことがあるとすれば、それはどこかで「見返り」を求めてしまっているのかもしれません。
- 「教えてあげた代わりに認められたい」
- 「手伝った代わりに気に入られたい」
- 「話を聞いてあげた代わりに自分のことをもっと知ってもらいたい」
このような気持ちで気を回してしまうと、相手との関係が対等に感じられずに、不満を抱くことが多くなってしまいます。
そうならないためには、
「これは自分がやりたいからやっているんだ」
と自分の責任であることを自覚したうえで配慮することです。
そうすれば、何の見返りがなくてもイライラしたり不満を覚えるようなこともないはずです。
注意:過剰な気遣いはおせっかいにもなる
他人への気遣いが「相手の望んでいない領域」にまで達してしまうと、それは“おせっかい”となります。
頼まれてもいないのに相手の仕事をやってあげたり…
「大丈夫だよ」と言われても無理に荷物を持ってあげたり…
これらは、『善意の押しつけ』と取られてしまっても仕方のない行為です。
良かれと思ってやった行為が、かえって相手を困らせてしまっているかもしれません。
心当たりのある方は、「自分の問題」と「相手の問題」を明確に分け、必要以上に介入しないように気を付けましょう。
「これは自分がやるべきこと。これはあなたがやるべきこと」
といった区別をつける意識を持てば、おせっかいを焼いてしまうのを防ぐことができます。
こうした考え方は以下の記事でもご紹介していますので、こちらもよろしければ参考にしてみてください。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。
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